Nutellaの奇跡70年〜イタリアのお菓子②

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Nutella、Kinderはイタリアの子供のいる家庭では避けて通りたくても通れない、、母親を悩ます甘い誘惑の代表です。

子供のおやつ、朝食の定番でもあります。

日本でも有名ですよね?

この、NutellaとKinder同じ会社Ferrero(フェッレロ)が作っていると知っていましたか?

そして、まだまだそれだけではないのです。

小さなお菓子屋がたった70年でここまでイタリアでTOPそして世界中に浸透させたのです。

この家族の偉業、Ferreroの軌跡を紹介します。

正直、娘にはあげたくないなぁと思っていたKinder。これを調べているうちに素晴らしいFerreroの偉業に少しKinderへの見方が変わってしまいました。。

1946年-514日ピエモンテ州のアルバにて誕生

小さなお菓子屋から始まりました、

創業者のフェッレロ・ピエトラ、その息子ミケエレも20歳の頃から家業を手伝っていました。

ピエモンテのアルバの名産といえば、シャンドゥイアのヘーゼルナッツのチョコレートです。

そのチョコレートを使って製品を作る、アルバのチョコレートを知ってもらうことが彼らの使命でした。

ピエトラの弟ジョバンニが営業を担当し非常に効率的で広範囲にわたる販売ネットワークを組織していきました。

アルバの最初のお店

1949年-創業者ピエトロの死去

32日創業者のピエトロが心臓発作で51歳の若さでこの世を去りました。

そして、弟のジョバンニと妻ピエラ、息子ミケエレにバトンが渡されました。

1956年-海外へ進出

フランクフルトから150 kmAssiaStadtallendorfに、最初の外国工場が誕生しました。

1957年-ジョバンニの死去

創始者のピエトロの弟、ジョヴァンニが亡くなりました。

その時から、若干30歳のミケエレが代表となり、 創造性と探究心、継続的な挑戦が始まりました。これは彼のキャリアを形成している一貫したポリシーでもあります。

イノベーションは、新製品のデザインだけでなく、当時として珍しい営業専業戦略にもありました。

1964年-Nutella(ヌテッラ)の誕生

ミケエレ・フェッレロの創造性は止まらず、新しいニーズに適した製品を長年にわたって考え、実験してきました。スーパーマーケットでの販売に成功し、形をさらに改善し、名前も変更し、海外で成功しようと試みます。

そして、英語のナッツNutから、世界中で知られることとなる「Nutella」が生まれたのです。正式な発音は「ヌテッラ」です。

今日でも、社会現象を起こしているヒット製品の誕生です。

当時のNutella

1968年-Kinder(キンダー)革命

母親は子供の栄養にもっと注意を払うが子供はそれでは満足しない。

これら2つの間の適切なバランスの解決策が、「キンダーチョコレート」だったのです。

(ドイツ語でキンダーは「子供」を意味します。このことからも世界に目を向けている会社と言えますね)

ミルクで満たされたチョコレートバーであり、

「より多くのミルク、より少ないカカオ」

がこのブランドのスローガンでした。

ミルクがおおく、カカオが少なめ のキャッチフレーズが使われたKinder

1968年-Pocket Coffe(ポケットコーヒー)の誕生

子供だけ?違います。 大人も「甘い休憩」が必要!その考えから、「ポケットコーヒー」が誕生しました。

ポケットコーヒー

1982年-金色のフェッレロ・ロシェの誕生

日本でもよく知られていますね?

これは世代に関係なく愛される製品の例です。

また、当時のテレビコマーシャルがヒットを要因したようです。

創始者の苗字が使われたFerrero.Rocher

1990年-「できたて」のスナックが誕生

再びミケエレ・フェッレロの創造性は、子供たちに’できたて’のおやつを提供することに成功しました。

Kinder Fetta al Latte」(すぐ食べれるチョコレートの意味)、に続き、キンダーピング(1992)、キンダーパラディソ(1994)、キンダーブエノが誕生しました。

私の旦那も小さい頃数えきれないほど食べたと言っています。

Kinder fetta al latte

1997年-3世代目

ミケエレの息子、ピエトロとジョバンニがフェッレログループの舵を取りはじめました。

彼らは創業者のピエトロ(彼にとっては祖父)、創業者ピエトロの弟ジョバンニ(彼にとっては叔父)の名前を受け継いでいました。

2001年-真の多国籍企業への道

グループの国際的な職業は強化され、

売上高は400万ユーロ、従業員16,000人、世界15の工場、32の事業会社になりました。

2005年-ミケーレ・フェレロの生誕80周年

アルバ市は彼に金メダルを授与し、イタリアは彼にイタリア国家の最高の国民栄誉賞であるグラン・クローチェを指名しました。

2011年-3世代目のピエトロの死去

南アフリカで悲劇的な事故で死亡し、悲しいニュースが流れました。

そのあとジョバンニが成功を続けながらフェッレロの経営を続けています。

2015-偉業を成し遂げたミケエレの死去

2015214日、すべてのフェッレロ製品の伝説的な発明者であるミケエレ・フェッレロが亡くなりました。

90歳間近でした。

同年8月フェレログループは1911年に設立された英国の製菓会社Thorntonsを買収し、従業員数は3,500人、年間売上高は約3億ユーロとなりました。

偉業を成し遂げた、フェッレロ・ミケエレ

まとめ

フェッレロの歴史いかがでしたでしょうか?

NuttellaやKinderは知っていても、甘すぎ!子供に悪い!などと思っていた私。ですが、この若干1代で、Nuttelle、Kinder、ロシェを開発したミケエレの偉業を学んで、少し見方がかわってしまいました。

まだまだフェッレロ熱がさまらないので、次回はKinderの商品の紹介をさせてください。